mnumeda's Diary

Everyday Rec.(Hatena::Diary よりインポート) 

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11/29 10:29

081128
5:50起床。シャワー。可燃塵出し。
 雨は、ぱらついている。どうしようか。
  昨夜メールが来ていて、211のYさんの窮状に付いては、会長の話では、民生委員は承知されているらしい。ご家族が承知されているので、民生委員は手が出せないらしい???。
  そういうものではないと思うが・・・・。


28日の晩は、母の血圧が80台になり、70台になり、アラームがなるため、帰れなかった。
その状態で、尿が減り、むくみが増え、SPが低下しだした。オシロ波形監視になる。
  一晩、血圧や、心電波形に注視しながら、夜を越える。



081129

しかし、越えたと思った朝は一段とBP低下した。70を切る。酸素は4L流しても、satuが上がらなかった。先生が多分看護師に言われ来られた。たまたまこの昼の看護師は新人の担当だった。
 冷静な表情ながら固かった。先生は「もう、一両日ですね」と言われた。Jに電話した。病院に向かっていた。
 10時の先生の宣言より、現実は急速に悪化した。
10時25分、BP測定不能。脈搏が遅くなる・・・。波形が飛ぶ。
 やがて、水平波形が多くなる。
パルスと水平が半々になる。
 水平になる。Satu測定不能。呼吸が弱くなる。やがて止まる。
先生は聴診器で心音を聞く。瞳孔を看る。
 「・・・・・です」といわれた。
「よく頑張ったね」と何度も額をさすった。
 「10:39です」と先生は死亡時間を呟かれた。
清拭を待つ間、先生は、ご希望があれば死因明確化の解剖は出来ると仰ったが、母の天寿はそれを許さないと感じて、お断りした。
 
Jは間に合わず、10:50分に、温かい額に触れた。
 清拭があり、長襦袢・袷、足袋をつけてもらい、地下の霊安室に安置された。
葬儀屋に電話した。
お寺の都合を確認した。
 結局、12・1友引で、通夜今夜、30日葬儀となった。
母のせっかちな、性格がそのまま旅を急がせた。
 12:30搬送。
師長とナースが見送ってくれた。
 火葬は八事が満杯で郊外になった。
緩やかに流れていた時は、堰を切って怒涛と変った。枕経を上げたいただいた。
 各所に連絡する傍ら、区役所へ行き、死亡届を出し、火葬許可をもらう。
帰ると湯灌だった。
 母はエステに行った様な顔になり、薄化粧をしてもらい、
経帷子を襦袢代わりに袷を羽織って、棺に入った。居場所が定まった。
 通夜はそれでも始まってしまった。