mnumeda's Diary

Everyday Rec.(Hatena::Diary よりインポート) 

アクセスカウンターアクセスカウンターアクセスカウンター

約350年前の開山

mnumeda2009-04-07

090407
7:10起床。起きにくい感じだった。日曜の打ちっぱなしの、筋肉痛だった。
家内は、以前から今日はHコンペ会で8時ECCスタートだ。
 自分は、エントリーしていたが、後から決めた仏壇の移転後の開眼法要を、
妙壽教会上人に無理やり頼んだので、居残りとなった。
 
 仏壇を整備して供物を準備した。
10時過ぎ上人が来宅。開眼用なのか、白い法衣になられ、
鉦、 火打、けん などを用いて仏壇を払い清め精入れをしていただく。やっと母は我が家へ居つく。
 終って、お茶を差し上げたら「中津川か岩村へお願いしてください」と言われた。

11:45 電話が掛かってきた。恵那労働基準協会恵中支部事務局長のIさん。引退したいから、後任を依頼された。
自治会長がなければ即答していたが、今年は引き受けられないとして、もう1年がんばれとエールした。

 12時45分岩村の、妙法寺さんへ電話して上人に面会を申し入れて14時にアポ。
その間、久須見に出かけ、供物の昆布とスルメを笠置橋の歩道橋の中央から、エメラルドグリーンの水面に流した。
 「いろいろ環境のことを言う方もいるが、生き物の餌になるのでかまわないですよ」
と上人が言われたので気が楽だった。
 マチノでcoffeeタイム。Yママは長野へ旅行とかで不在。
岩村へ向かう。飯羽間の信号を入って、南進、旧岩村高校の辻を入れば妙法寺だった。
庫裏の前に、SUV車が停まっていて上人の乗り物かと思われた。
 
 気配で知れたか、玄関を開けて招きいれていただいた。
円卓と椅子が4個ある応接で謁見していただく。
一連の成り行きと事情を説明して原則了解していただく。
 ここで母の初盆は7月18日(土曜)11:00と決まった。やれやれ。
護持会費年間10Kを承る。
 寺院行事のパンフもいただく。縁起パンフもいただく。
約350年前の開山である。
妙壽教会の上人も、この上人も ここで先代上人の弟子だったとのこと。
 本堂へ案内され、参拝し、本堂奥の位牌堂も拝観して
「第二の位牌をここに収めていただければ毎月法要ができる」とのこと。
先祖代々の面の広い位牌が何百とひな壇に安置されていた。

 辞して、帰宅。
15:00。飯を炊くしたく。5合18:00セット。
 家内の育てた花を撮影したり、サザンカの下の、鳥が落とした種子から育った、紅葉の双葉を、
空いた植木鉢にいけてさらにそれを土に埋める。3鉢。育てば、盆栽にも、植木にもなろう。
 
 家内は16時過ぎに帰宅。5組のコンペだったようだ。
団塊の世代が退去入会したようだ。
 次回は5月末らしく、田植えの終ったころとのこと。

晩は、家内が帰りに買って来たピーマンで青椒肉絲を作ることで決定。 
春の宵は、段取りがスムース行った所為か、月が中天で輝いた。