mnumeda's Diary

Everyday Rec.(Hatena::Diary よりインポート) 

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東北紀行・船岡三春会津

五色沼0904220530

090420(0421)
6:50起床。シャワー。下の息子は生産調整休みのようだ。
 家内も、上の息子も定刻に出勤した。
中津川アピタ駐車、UFJ100K払い出し、通帳記入。
恵那へ帰ってValorで駐車、16bk記帳、郵貯で記帳。
一応、愛知県住宅供給公社の敷金家賃の相殺は完了し、振り込まれていた。残るは、NHKの視聴料である。
買物。昼弁当、野菜など。
帰宅後、上の息子に依頼したチューナー、無線LANハード、DHコード代など20Kを清算のため封筒に入れて息子のPCのKBの上に置く。
 さらに、29日に支払う区費の立替分38.5Kを準備する。
午後、散歩。北岡瀬沢〜奉行橋〜土々ヶ根〜金竜館跡〜鰍橋〜野畑〜日光坊で戻ると、
OFFの息子も散歩に向かって来た。
 その後、草取りを始めたら、その息子の部屋の、室外機の土台の木材が朽ちて、
室外機が落下する恐れを発見し、あわてて脚立を伸ばして梯子にして、軒にかけ寸法取った。
息子に電話して手伝ってもらうことにして、車で迎に行く。スマッシュの前でピックアップできて、カーマへ向かう。
56角の根太材を1800L買い、3pにカットしてもらう。
 帰って、息子は自室の窓から、軒に下り、自分は梯子で、朽ちた木材を取り替えた。
これで当分は大丈夫になった。
 その後、明日からの旅行の仕度をした。
090421
 5時15分前に起床。家内も起きた。
いつもの食事をいつもより2時間早く済ませて6:00に発車した。
ルートは恵那IC〜土岐JC〜環状〜湾岸〜大府〜知多産業〜セントレア常滑ICで降りた。Hパークは目の前にあった。
到着は7:20だった。
手続きし、車の傷やメーターをチェックされサインし、相乗り4人を乗せた送迎車はハイエース
20分ほど待たされた。
 それでも8:10のツアーKNTカウンターに8時前には着いて搭乗券をもらう。
検査は、万歩計・腕時計・ケータイを外してOK。
8:55のJALEXへ搭乗した。
気流は乱れていたが、サービスはあった。定刻10:00には雨の仙台空港に着陸した。
 バスには33人+添乗員1だった。
若い方は皆無だった。
 バスガイドはシニアのベテランで、水戸泉タイプと自ら名乗ったユーモアあふれる人格者だったので、
この先3日間非常に得した旅になったのである。
 最初は船岡城址公園、小雨だが傘は不用。
桜はソメイヨシノで、葉桜。それでも、50Mの観音山までロープウエイで行き、観音像の内部の螺旋をTOPまで行った。
阿武隈川白石川の桜も既に時期は遅かった。
今年は、開花宣言から満開まで3日、その後の雨で5日しか見所はなかったという。
 車中で弁当。
三春滝桜を訪問。観光バスも多かったが既に大部分散り尽くしていた。
 次は会津若松城訪問。
石垣は古く、堀は深く、風は強く、赤松の老木が城の威厳を保つ。せめて花いかだのもてなし。強風が堀の片隅へ花びらを吹き寄せて、一面の布を広げたかのごとき風情。
 コンクリートの天主には登らず、荒城の月の歌碑を見る。
飯盛山参拝。
 若松城から飯盛山への移動中、白狐隊の話をガイドがした。山には階段で登らず、横の瀬古路を登る。墓標の前で、白虎隊士姿のうら若き女性(土産店の方)が物語りと詩舞を演じて見せた。地に伏せて自刃を演じたときは、止んでいた雨が降り出した。
 物悲しい、歴史と現実が一行を包み込んだ。縦縞のはかまの膝が、地にまみれて、ことさら悲哀を感じさせた。その余韻は雨足の強さになった・・・。

石部桜は下車しないで3人の方が見に行かれたが、17:30にすごすご帰ってこられた。
 
宿は、裏磐梯五色沼近くのダイワロイヤルホテルズ。残雪が迎えてくれた。