mnumeda's Diary

Everyday Rec.(Hatena::Diary よりインポート) 

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憧憬のストローハット

カーマ

090429
6:45起床。シャワー。
5:50に一度起きてトイレへ家内は6:30発だ。
上の息子は出勤だ。
家内は洗濯をして、干さずに出た。
自分のものも洗いたい、食前に ガウン・下着・普段ズボン・セーター・ポロシャツを追加洗濯。
食後、洗濯物干し。大量だ。
トイレ改修業者は今日は来ないので、朝は、自分のために使う。
10時久須見へ行き、取材。
10:30ころ目的物が動いたので早速フォローしたが、現れず
引き返して、南の橋下の方へ行く。旧宅の裏道に白色の目的物が見えて、待つことしばし、目の前のT字路へ現れた。
ルームミラーに顔を隠して、すぐにフォローせず、間を置いて出た。
 結局、間に無目的物を3、4入れてフォローして、苦労しながらカーマまで行って、しばらく取材続行。
帰りは、無理は出来なかった。ホテルルートインの表と裏の平行線で見通しが悪くLOST。
 ユニクロ・Valorをチェックしたがムダだった。
帰って、一人昼食を早めに摂る。
残り物ばかり。
 家内の、し残した(回覧は帰ってきてからやる、と言っていたが)回覧を、準備して 
12:30に出て、ついでに回覧を届ける。
 届けた先の、駐車場に家人家族がいたので、「こんにちは」声かけしたが、無視された。
娘と連れ合いが実家を訪ねていたところか、取り込み中かな。

 13:45にコミュニティセンタへ到着。駐車場は満タン。歩きでよかった。入れない車は小学校へ止めているようだ。
 会議場は満員。120人くらいか。ひな壇組20人以上。
会議は年度予算行事計画の承認総会。
 15:00に終了。区費を担当区長に支払い、帰宅。途中家に着く直前に、Iさんのご主人に出会う。
木陰で丁度良かったので、普段しない話を伺う。
彼が語る「一年弱前、本業リタイヤしてパート職場へ行っていた。
本来週3,4日だが、同僚の具合が悪く、しばらく日曜しか休めない日が続いていた。
寒い朝、一人ストーブの前に座った、ところまでは覚えているがその先記憶がない。
・・・気がついたら娘の顔が目の前にあった。3日目だった。
恵那市民病院から中津川市民病院へ転送され、手術直前だったが、
出血した後頭部の脳内血管は幸い細いものだったので出血は止まった。
開頭手術は未然に中止となった。3日目から足の、すぐに手の、続いて口、言語のリハビリが始まり
一ヶ月後転院を要求された。
下呂温泉病院、城山病院、県病院・・・どこも遠距離で行きたくなかった。
PT,STの承認を得て、自宅でリハビリを続けることを許可された。
PTがここを視察に来て、車が通らない道を確認し家族に宿題課題を記録させ、
本人にケータイで報告させる。毎日の歩行リハビリ時間回数をメールさせる・・というのが条件で・・・。
 普段血圧が高めだったが、自覚症状は何もなかった。突然の出血だった。細い血管でよかった。」
と。彼は今年69歳である。

 帰宅後、冷たいお茶を一気に飲んで、出かける。
再び、姫栗。南の坂を上ると、あちこちで代掻きの最中だった。
上段の畑に、憧憬のストローハットが見えたので、上の集会所の降り口から旧道を降り、
竹やぶで車を反転して停めて、取材を再開した。
 15分ほどシャッターを切ったが、背後の畑に軽が登ってきたので、あわてて中止して、
カメラマン風をよそいい梢を見上げたりしながら、エスケープせざるを得なかった。
帰りにValorに寄り、パン、トマト、コーヒー、合い挽き肉など仕入れる。

帰宅して、区費の領収書を会計さんへ届けた。下の息子が帰宅していた。
落合へ車を置いて馬籠から妻籠へ往復したらしい。自転車でのあの路は厳しい。疲れ果てた、という。
 
晩は、冷や飯の残りで焼き飯、サラダ、味噌汁。下の息子とBEERを飲みながら喰う。
18:30 会計さんから区費の立替分が届く。
 20:00上の息子帰宅。20:30家内ご帰還。