mnumeda's Diary

Everyday Rec.(Hatena::Diary よりインポート) 

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明治天皇行在所大井鬼子母神 正善寺 消滅

mnumeda2010-06-05

20100605
7:00起床と思ったら8:00だった。アラームは6:47に停めていた。
その迂闊な隙間に睡魔が入ってしまった。これは大失態の前兆かも知れぬ。
 シャワー洗濯朝食で9:00。家内OFF。
9:30取材出発。
 しかし問題があった。林道は地区の総出の草刈だ。
小学校もPTAが出ている。うろつけない。
対象も、対岸には見当たらなかった。
下から11トンロングが上がってきたので今日はON JOBなのかとあきらめて帰る。
 Valorでメモどおりの買物。
比較的明日よりは空いている筈だが、問題は明日がどうなるかだ。と思うと焦燥感が湧く。
 帰って、2Fのベランダにシェードを取り付ける。
去年初めて、ベージュのアジアンクラシック調のを取り付けたのだ。今年も使用可能。
 ひさしのアングルにインシュロックで取り付ける。

昼。残飯お茶漬け。
午後12:30炎天下 散歩開始。短パンTシャツ。パナマ素材の帽子。
北関戸から新関戸、鴨田のO宅前で御主人に挨拶。
道路向いの原野雑木林が裸になっていた。
伸びたシイなどが藪を形成していたので御岳は望むべきでなかったが、
O宅から今日は御岳が望めた。
しかし、雑木林は消えた。Oの御主人は落ち葉が大変で地主に伐採を要求したという。
木は椎茸原木になるので引き取り手は居たらしい。
 
残念がりながら安原、岡瀬沢へ向かう。
農道から古屋産業の工場前を経て中山道へ向かう。歩道がなく気が気でない。
富士浅間神社に到着。鳥居のそばに由来記あり。神の源は薬泉のようだ。
確かに池の中に社がある。
その昔下の御前といわれ、女性の病に効ありとかで汲んで風呂へ入れる風習が戦後まで続いたようだ。

 
 中山道から雀子根へ抜ける林間の道を行く。
R19へ出る前に右尾根へ抜ける。学頭地区だ。
西へ戻る。関戸から県道へ降りる。
正善寺跡地は更地になり、鬼子母神の石柱は跡形もない。
売地の看板が立っていた。住宅用地マンション用地である。
 その昔、明治天皇行在所大井鬼子母神 正善寺 とし中仙道の史跡ではなかったのか。
中山道の紀行文を見れば 多数の記載があるが、時代は見限ったのである。

 農高裏道へ入るところに法被の女性が座っていた。
誘導掛かりだ。水半茶寮で「落語会」とあり駐車場の案内である。
 水半といえば、駅前再開発で変遷激しい。
青木の地内で 喫茶・創作料理をやっている・・・。
暇オバハン相手でも浮沈は激しいだろうし、今日はあの手この手の一部か。
 法事に使えそうだが、家内が推奨しないのは何故か。

 家内は掃除を途中で投げ出して、I夫人と表でなにやらしているが、一向に賄う気はない。
吾は一人黄昏の光の中で水割りをいただく。水は笠置山の9合目の「おみたらし」である。
 長男は仕事で上松方面だったようだが帰りに朴葉寿司を買ってきたらしい。
吾には 残飯を喰うてから 家内が進めたが時既に遅し。気持ちの行き違いは些細だが重要課題だ。
 明日は家内がさくらんぼ狩りに日帰りらしい・・・。