mnumeda's Diary

Everyday Rec.(Hatena::Diary よりインポート) 

アクセスカウンターアクセスカウンターアクセスカウンター

国の形を変えるのか?

mnumeda2013-07-06

20130706
7:30起床。曇り時々晴れのち雨。全員OFF。
 AM Y:O観戦。イチローにしては下手なバントだったが
シフトミスで成功し、サヨナラにつながった。
 10:00図書館へ行くことで3冊中完読1、途中2だったが惜しくはないので
刈り替えに行った。駐車場は満杯で、優先駐車場を借りて手早く借り換え。
 二階でイベントがあるようで、騒々しい・・・。何番までのかた入って、!など
声がしていた。図書館であれはいけない・・・。わが町の伊藤文庫は、立派だが、
図書館として資質に欠ける・・・。学術的雰囲気は二の次で、母親や子供らにおおらかである。静かに書籍に親しむ向きには問題がある。せめて子供の領域の壁にガラスの仕切りが欲しい・・・。
 昼、残飯で時化めし催行。家内は朝が遅く平然としている。
吾は、時間厳守で何事も進行したいので定刻に摂り終える。
 PM取材に行きたい気持ちが山から漂ってきたが、こらえた。今の黒の田湿地にサギソウ
など咲いていれば、見に行きたいが3時から降る、との予報だ。
 14時からNHKのLIVE DY戦を観た。
Yの新人の小柄な大投手は小憎らしい・・・。コントロールがいいのだ。それに比べ、わが投手は肝心の球が真ん中に寄る・・・。
 15:00BLOG-UP.
16:00飯の支度。とはいえ、パスタ500gボイルするだけ。
 土用の定番だ。岐阜市周辺で降っていた雨雲が消えて、夕方に恵那上空へ現れた。
雷雲は二度にわたって、現れ、にわかな雨と雷をとどろかせた。
 17:30パスタと残飯で摂食。
18:00摂食完了。一時日差しがあったが、散歩を決心したら、すぐ雷鳴がなり、再び
降り始めて、仕方なく19時のNEWSを全部見ることになった・・・。
 19:30シャワー。
雨が過ぎたら涼しくなった。今夜は助かる・・・。
 明日の予定:特になし。
今日の問題点;中日(東京)社説「国の形を変えるのか、憲法問題」
今朝の中日をみんなに読んでもらいたい・・・。以下その全文。
 参院選の大きな争点は、憲法問題だ。改憲勢力が三分の二を制すれば、憲法改正が一気に現実化しうるためだ。「国のかたち」を変えるのかが、問われている。
 社会が暗く、閉塞(へいそく)感が覆う。格差社会は深刻だ。低所得者があふれ、生活苦にあえぐ。若者も未来に希望が持てないでいる。
 憲法改正によって、さまざまな社会問題や国際問題が解決するわけではない。けれど、そんな幻想がまとわりついていないか。危うさを覚える中での選挙だ。
3分の2のせめぎ合い
 自民党憲法改正草案をつくり、堂々と公約に掲げている。国防軍の創設をうたう九条改正や、改憲の発議要件を「三分の二」から「過半数」へと緩和する九六条改正…。日本維新の会みんなの党も、憲法改正をめざしている。
 自民と維新、みんなを合わせた改憲勢力衆議院で、三分の二のハードルを越えている。議席数で実に76%にも達し、発議要件を十分、満たしているのだ。
 安倍晋三首相は「次期国会で直ちに発議しない」と発言したものの、参議院でも三分の二を超えれば、憲法を改正する千載一遇のチャンスを与える。
 その意味で、こんな参院選は近年にない。改憲か、護憲か−。現実的な数のせめぎ合いになる。
 国民主権基本的人権、平和主義などの骨格に支えられた憲法は、国民生活に深く染みいり、現実に戦後は平和で自由な社会を築いてきた。選挙の結果次第で、この「国のかたち」が、変貌してしまうかもしれない。
 参院選は日本の岐路となる歴史的な選択なのだ。それゆえに、われわれは日本国憲法の意義をあらためて、かみしめるべきだ。
 「国民の手に憲法を取り戻す」と首相は語った。では、今まで国民は憲法を握っていなかったのか。
権力は鎖で縛らねば
 学校教育などを通じて、多くの国民が親しみを持つ法典である。逆に、そもそも今、なぜ憲法改正が必要なのか。疑問に思う。
 むしろ、占領下の米国によってつくられた「戦後レジーム」からの脱却を唱えてきた首相が、改憲への風をあおり立てている。「三分の一を超える議員が反対すれば、国民は指一本触れられない」とも首相は述べた。
 しかし、国会議員を投票で選んでいるのは、国民である。憲法施行から六十六年間も、改憲を阻んできたのは、国民の意思表示と受け取るべきだ。
 「国民の手に憲法を取り戻す」という言葉とは裏腹に、まるで自民党の改正草案は「権力の手に憲法を」と主張しているかのような中身である。
 現行憲法の前文は「日本国民は」で始まるのに、改正草案は「日本国は」を主語に国家観が語られる。出発点から異質なのだ。
 「日本国民」を主語にした文脈では「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合う」ことが要求される。
 国民の自由と権利の条項には「常に公益及び公の秩序に反してはならない」と、言葉が加わる。義務がやたらと目につく。
 何よりも、まるで一般の法律のように、国家権力が国民を拘束しているかのようだ。立場は逆であるはずだ。
 国民が国家権力を拘束するのが、本来の憲法の姿である。立憲主義では、たとえ国民が選んだ権力であれ、力を乱用させない「権力を縛る鎖」なのだ。
 その憲法を国民の名を借りて、権力側が自らつながれた鎖をほどこうとする改憲などありえない。改正草案を見る限り、時計の針を古い時代に巻き戻しているような印象だ。
 果たして自民党のすべての議員が、改正草案を支持しているのだろうか。戦争体験のある同党議員OBらは、公然と「改憲反対」を唱えている。議員一人一人の考えを聞いてみたいものだ。
 民主党は九六条改正には反対するが、改憲自体には「未来志向の憲法を構想する」と述べ、国民との「憲法対話」を進めることにとどまっている。やはり党内には、憲法に対する意見は、賛否両論が渦巻いているのだろう。
 公明党は、環境権や地方自治の拡充で新たな理念を加える「加憲」の立場だ。政党によって、また議員個人の信条によって、憲法への考え方は多様である。
声をじっくり聞いて
 本紙は憲法を守る精神に立つ。自由や平等など人類の英知を集めた憲法をより生かすことで、現在の苦境は乗り越えられよう。「国のかたち」を変えうる国政選挙だけに、有権者は各立候補者が訴える声をじっくり聞いて、「一票」の判断をしよう。