mnumeda's Diary

Everyday Rec.(Hatena::Diary よりインポート) 

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老人のsuicide

妙壽教会

090326
6:50起床。シャワー。
9:0016Bにて振込み。
 仏花・昼のチラシ寿司2PAC購入。車の中から妙浄寺へ電話したら、母尼さまが出てくれたが、
要領を得ないので、ではもういいですと、切った。
 自宅へ戻って、もう岩村しかないかと電話しようとしたら、その妙浄寺の丸山上人から電話があった。
ウチより「妙壽教会」がいいのでそこへ連絡してみてくれと。
 要は、檀家を増やさない方針のように思えたので、『母上によろしく』と礼を述べて切った。
教えてもらった番地で、岐阜県地図システムで検索したら、旭丘のようだった。
 早速、行って見たが良くわからない。郵便配達・畑の女性・店先の方に聞いたが、番地も該当しない。
すごすご帰る。帰って、住宅地図を見たら、「妙壽教会」は載っていた。
 旭丘の交差点の至近の斜面だった。午後尋ねることにして電話したが留守だった。

 Jにお墓の写真を送る準備をして、味噌汁を晩にも食べるように量を作って、リンゴを剥いて、家内を待つ。
チラシは評判が良かった。
 トコロへ上の息子が帰ってきた。チラシは2しかなかったが、息子はマルケイで弁当を買って来た。

 午後、散歩に出てお寺さんを見に行く。会えれば上人にもあいたいが、と考えた。
出るころ天気が崩れた。雪が舞う。
 名残雪。恵那山も笠置山も雪の雲に覆われていた。
 
教会の境内には日蓮上人の立派なブロンズ像があった。
本堂はなかった。庫裏住居はあったが鍵が掛かっていた。
念のため電話したらお子さんが出て、母親に代わってくれた。
おくり様であった。上人はフラッとドライブに笠置山の方へ出え掛け携帯を持参しなかったらしい。
 おくり様としばらくお話をして、ケータイ番号を教えて散歩を続けた。
結局帰りつくまでは掛かってこなかった。
 親友が電話してくれて、I.Kさんの行方不明情報(数日前広報で放送していた)の後報をくれた。
懐中電灯とタオルがあったらしい。山の捜索は打ち切って川を探しているらしい。遺書があったらしい。
結局、恵那市民病院に癌で入院していて、春分の日に、自宅へ帰っていて夜中に、入水したと思われる。
 老人のsuicideの典型的な事例となった。
今後この種の、事件はさらに増え、自殺者の大半を老人が占めることになる。
医療介護の貧困は老人のQOLを悲観させるに十分な状態である。
 
 15時前、妙壽教会から電話あり、山口と名乗られた。
只今からお伺いするというと、所要があるので明日にしてくれとのことで、
明日朝9:30〜10:00でお伺いする事とした。

 晩之したくは、釜を見て残り飯が多く、チャーハンで減らすことを考える。
メインはゴボウと牛肉の佃煮風、キュウリとワカメと雑魚の酢の物、味噌汁、チャーハンで完成だ。
帰ってきた家内に佃煮風は任せた。

 夜、急遽香典の準備をした。飯地町岩浪の方の逝去だ。お宅は笠置ダムの右岸の山の上、纐纈姓の多い
平家ゆかりの地である。
家内の代理で、家内の従兄弟の葬儀に出かけるはめになった。