mnumeda's Diary

Everyday Rec.(Hatena::Diary よりインポート) 

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「下宿を、月の出を待って出発した」

080125
7:00起床。シャワー。塵だし。環境委員のIさんが塵のチェックをされていた。自治会役員決まったかとの問いに、「いいえ、欠席者が3名もあったので決まりませんでした」と、お答えする。大変だねとの応答。洗濯。
9:30車で小幡へ向かうが、忘れ物(本2冊を玄関に置き忘れた)に気がついて引き返す。10分前に小幡着。送迎停車場で少し待ったが、背後に着けた車から降りられた方が、T氏だった。弟さんに送っていただいたようで、ご挨拶された。T氏を乗せて、千代田橋スターバックスへ行き、ソファで歓談した。氏の体型は昔と変らなかった。自分と違い品よく年齢を重ねられた。現役らしく、黒のオーバーコートと、ダークスーツ姿が違和感なく感じられた。48年ぶりと切り出し、握手を求めたが、T氏は、京都で最後に会った山行きを語った。従って正しくは42〜43年ぶりなのだ。そのときの情景はT氏の言葉でよみがえった。氏の「下宿を、月の出を待って出発した」こと、比叡にいたる尾根筋で「スギの葉を焚いて、メザシをあぶって、ウイスキーを飲んだ」こと、ドライブウエーの終点近くの遊園地辺りで、「野犬集団に囲まれた」こと。「泉鏡花の影響だったあのころ」と氏はいう。著書のことについて、無遠慮に問うたが氏はありのまま開示された。その話の内容は、腑に落ち手ごたえがあった。重かったし、聴き堪えがあった。山行きの紀行文も、推敲の過程が具体的に分かるようにされた。生きた証しを残す以前に、男の意地を見せるという動機にうなずけた。
この再会は、自分にとって貴重だった。よい友人に恵まれたことと、自分との明らかな格差を感じた。それは己を構築するための努力の仕方と量が全く違うことを感じたと言うことであった。しかし、その気持ちで退かねばならないのではなかった。むしろ現在の自分の、煩雑な現状の中からいくらかなりとも氏のありように迫る努力が出来ないかを考えさせる、感覚だった。朽ちかけ萎える晩年へのアーチをくぐる足取りが、軽くなったように思えた。
自分のケータイがなった時点で、歓談は終わる。 大曽根まで送って失礼した。電話は、名古屋フィルの次年度定期会員の席の件だったが、また月曜に電話するとの留守電内容だった。
昼、焼モチに海苔を巻いて、冷凍のお好み焼きをおかずに、食べた。母完食。両種とも咀嚼は楽だから。
午後、14:30午前行かなかった散歩に連れ出す。突風が吹く。公園の親子はこちらの顔をみて「寒いですねー」と言いながら、避難した。強風はすぐに止んだ。局部的な上昇気流はどこへ吸い込まれるのだろうかと思うほど空は平面だった。それとも、ダウンブロウだったのか。大幸緑道ではこの寒風の中で、剪定作業をしていた。アメリカフウの足元に積もった腐葉土から数本の身の丈ほどの落下種苗がひょろっと立っていたのまで、ばっさり切られた。こずえにスズカケに似たカサが、まだ風に揺れて見下ろしていた。
   15:30買い物。洗剤、柔軟材(加齢臭対策)、BEER 、晩のとんかつ、キャベツ1/2カット、おかき。今夜は面倒さが支配して、とんかつとキャベツ、南京煮、昨夜のおでんの始末などが充てとなる。
 20:00母を風呂へ誘導。メールチェックしたら、鶴舞中央図書館庶務係りからメール着信、添付で「母の家族を証明すれば個人貸し出し要件を満たす」旨の書面を受け取る。家族の証明は「戸籍謄本」か。兵庫から取り寄せとなる。申し入れた甲斐があった。しかし、問題はある。なぜ「窓口」はその規程を知らなかったのか。