mnumeda's Diary

Everyday Rec.(Hatena::Diary よりインポート) 

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東北紀行・裏磐梯米沢置賜/蔵王山寺仙台松島

上杉神社

090425(0422〜0423)
 7:00起床。シャワー。今朝は雨の音で目覚め。
家内は出勤、息子らはOFF.上は名古屋へ出かけるといい、下も出かけるようだ。
DKの確率天気カレンダーは的中している。
旅行中の天気もまさに当たった。
 雨だし、紀行も残っているのを完結しないと、自治会文書もあるし、多少気ぜわしい。
ぼたんの母に心配かけたし、写真の整理もある。雨仕事にはもってこいだろうか。

紀行続き090422.
 昨夜から降っていたが、上がっていた。
5:00起床。朝飯前温泉前に、家内を部屋に残して、雨上がりの裏磐梯へ歩き出る。
ガスが百メートル上に漂い山を覆っているので、何時降り出すか・・・。
広い舗装路を行くと駐車場があって、遊歩道が右に伸び山中へ向かう。
毘沙門沼は後でいい・・・と思いつつ、レジ袋を提げた母娘二人がやってきた。
山菜採りの趣向らしい。「おはようございます。五色沼へいかれるのですか?」と問われた。
 素直に返事して足早に、遊歩道を進む。
5:30まで進んで、6:00に帰るためには引き返すつもりだった。
最初に毘沙門沼の西端を見て、しばらく歩いて赤沼を見た。沢には残雪があった。
次に深泥沼まで行って、時間だった。遊歩道は雨と雪解けでぬかるみに倒木が渡してあった。
木立の梢で風が時々渡って行った。ざあーっとなってまた静寂。
ケラの、木を敲くコンコンコンがこだました。
 赤沼まで戻ると先の、母娘が路をそれて山菜を探していた。
母が「向こうまでいかれましたか?」と問うので、「いえ時間が来たので引き返します」と返事した。
彼女らのレジ袋は大方半分ふくれていた。フキノトウがほとんどだろう。
 帰りは毘沙門沼の遊歩道を戻った。
ツアーの夫婦が二組ほど先を歩いていたので追い抜いて、ホテルに戻り、
家内には温泉へ行くならフロントに預けてくれといっておいたキーをもらって、
部屋へ戻り、霧雨に多少湿った上着をかけて、温泉へ入った。時間の制約で達成感は乏しいが、半分までは踏破しただろう。
 7時には食事だったので、家内と行くとさっきの母娘も食事にやってきた。
バスは二台有ったので別のツアーらしい。
 8時出発。
米沢の上杉神社へ向かう。先にバスガイドが豊富な知識で説明あり、
上杉 鷹山/上杉 治憲の銅像や「なせばなる・・・」の石碑を見る。
 上杉博物館(真新しい)で天地人展を観る。愛の前立て兜を見る。
「上杉本、洛中洛外図屏風」を観る。桜は満開過ぎたが十分だった。
内陸米沢は春が遅い。11時、近くのワイナリで試飲だけさせてもらい、
昼食(屋台村)ドライブイン。追加料金を払って、家内と米沢牛すき焼きをいただく。
 午後は置賜(おきたま)桜街道を行く。
烏帽子山千本桜、久保桜、釜の越桜。雨はなかったが肌寒かった。
風も桜をゆすっていた。どこの古木も維持が大変そうだった。
何時まで名所が維持できるか・・・各所悩んでいる。これも観光と保存の間の問題である。
 一路山形へ向かい、今夜は蔵王温泉である。
オプションで国際ホテルを選ばなかったが、井上夫妻ら11名は先に降り、残り22名は四季のホテルへ到着。
小ぶりながらまずまずの建物で、百八歩の湯まで蔵王の温泉は外出が欠点だった。
17時に着いて、家内とゆかた丹前でまずそのPH2〜3へ歩いて出かけた。専用の下駄があった。
湯はぬめり白濁、硫黄臭あり、老人性湿疹が癒される感じが実感できた。永く入りすぎるなと注意されていた・・・。
 食後、22時には1Fの内風呂へ入ったが単純塩泉であったが、食前の酸性浴のせいかひりひりした。
食事中、添乗員が明日の朝、近くに水芭蕉が咲く湖があるから是非見るようにと言いに来た。


紀行続き090423最終日。
6:00起床。山間のホテルは時雨れていた。山の中腹以上はガスに隠れていた。
家内と1Fの内湯温泉へ行く。
昨夜寝る前にも入って、人がいないのを幸いに二人で二台しかないマッサージ器を独占して揉んでもらった。
今朝も、遅いのか7時過ぎには人がいない。露天風呂も一人だった。
バイキング食後、家内と傘を差してホテル裏側から、水芭蕉を見に行く。
地面の草は、かれた草に新芽が出て薄緑に変化しつつふんわりしていた。
ホテル裏の、残雪の向こうの沢は水量が豊富だった。流れの先は、湖になっていた。
この湖も噴火堰湖だろう。湖の手前の湿地一帯が水芭蕉の群生地だった。
遠くから遊歩道があるが、ホテル裏からはそこへの道はなかった。沢の手前の湿地の一部を真近に見えた。
雨が、止んだり降ったりしていた。

 9:00バスは出発した。
向かう先は山寺。昨夜は嶺は雪だったと、バスガイドの指差す彼方の蔵王の嶺は白くなっていた。
 山形市内へ降りると天気は晴れて風が強かった。
山形市内を左に見ながら北上し、左に折れて立石寺(山寺)へ向かう。
天気晴朗なれど風強しの状況で、みやげ物街を風が花吹雪を吹き上げていた。
 鉄道は仙山線山寺駅、川は最上川の支流 立谷川の清流。
山寺は南の絶壁に張り付き、堂塔が見下ろすように見上げられた。
バスガイドは根本中堂前で説明をし終えて、ツアーを送り出した。
健脚者らは約1時間余を与えられ、登山開始となった。中学生の一行が同道だった。
1000段を越す石段や、岩に穿つ塔婆を見ながらせみ塚を経て、開山堂・五大堂に到り、眺望を確認し、奥の院を極め、下山。
橋からの眺めも確認し、バスに戻った。
「 しずけさやいわにしみいるせみのこえ 芭蕉 」

バスは高速道で仙台に入る。青葉山トンネル、広瀬川を渡り、青葉城址公園へ到る。
桜はなく、城山は日差しこそ途切れなかったが風が冷たかった。
 伊達政宗の騎馬像を見、土井晩翠の胸像と歌碑、石垣を眺め、仙台の眺望を確認し天守閣が不要だった訳は歴然とした。
 みやげ物店の2Fで昼食。
オプションながら、その価値は不足していたのが残念だったが、これは致し方がないか、
検討不足か、KNTも勉強の余地が大いにある。
 東北大学のキャンパスを抜けて市内を目指したバス。
キャンパスは高台にあり、下宿は城下なら自転車はきつかろうと、行きかう学士補を見やる。
 バスはメディアテーク
(伊藤豊雄・佐々木睦朗コンビネーションのねじれた柱のあるガラス張りの図書館)を左に見て、
定禅寺通りを行く。ケヤキの並木を見る。

 30分も掛からず、塩竃港に着く。
7〜80人乗り程度の遊覧船に乗る。
船長がガイドもパイロットもやる。
「 湾内と 言えども高しへさき波 しぶきの虹をくぐる島影 」(詠みひとねづみ)。
カモメは居たが、餌をくれるものなしと、あきらめて、ほとんど寄ってこなかった。
沖に出ると、大きなフェリーが立てた波に乗って、歓声が上がる。
船長曰く「安心召され、まだ一度も沈んだことはない」と。
 30分で、松島港に接岸。

ガイドに伴われて、松島瑞厳寺を拝観。
この先修復工事で10年は拝観できなくなるらしい国宝である。
既に飯場事務所が、杉木立の中に用意され、本堂(大修理中は非公開)周辺では測量調査が始まっていた。
 長谷川等胤らの極彩色襖絵を観る。甚五郎らと称する欄間の彫刻は色があせて時代を感じさせていた。
鴬張りと称する廊下は、磨かれていたがどこかくすみが来ていた。
 井上夫妻と前後して、歩く。宝物殿も見学。正宗甲冑や、沖の遺跡の石版などを観る。
杉木立を抜けて、五大堂へ戻る。
 風強く、寒く、集合場所には、早くも皆集合10分前には全員集まって出発となった。
ダウンジャケットが欲しいと思うほどの風であった。
 
 旅は終る。19:55のフライトまでは、十分時間があり、夕飯、土産、coffeeで過ごした。
搭乗口では、女性7人グループがシャベリングをしていた・・・。同じ飛行機かと恐ろしく不安だった。
搭乗して安心した。我等は最後尾10列で、窓から仙台の夜景を堪能した。シャベリンググループは主翼の方だった。
前の方で騒がしかったが、気の毒な方々多かったに違いない。
 
 中津川から豊田岡崎名古屋にかけての夜景は、東北の比ではない豪華だった。
定刻に、衝撃も少なくランディングした。家内と機長の腕を褒める。
 H駐車場へ電話して、迎を頼む。P1Gで迎のハイエースワゴンに乗る。20分待たされて相乗りとなる。その20分が割引勘定にあうか否かよく考えなければなるまい。

 空いた高速を走って、11時帰宅。
ついに、次の計画までの楽しみは費えた。費用対効果は、家内は満足だという。強行軍のところもあったが、桜と銘打つのはなかなか業者にもプレッシャーが掛かる。しかしツアーの面々から苦情は皆無で、ベテランガイドや添乗員には拍手が多かった。飽きることなくよくしゃべる話題の豊富な方にガイドさんがいれば、花は乏しくとも心の内にハナが咲くといいもの